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カテゴリー「成長記録(4歳まで)」の8件の記事

2006年9月20日 (水)

診断の時(2005年12月)

 言葉が出始めた時から、こだわりが出てきだして「これはおかしい。」と、ことばの教室の先生に相談しました。すると発達に詳しい先生を知っているから、「診てもらったら、どうですか?一緒に付いて行きますよ。」と言ってくださり、病院の発達相談を受けることになりました。このとき私は、ADHDとアスペルガー症候群をかなり意識してはいました。何かの診断を受けるのではないかと心の準備はしていった…いや、心の準備をしていったつもりでした。
 病院に行き、今までの育児の経過を話し、双子の兄と違う点、心配なことなどをこちらから話し、先生からも質問を受けました。そして、とっちゃんに簡単な知能テストをした後、先生は こう言いました。「はっきり言っちゃっていいですか…」「広汎性の知的障害のない自閉症です。」とっちゃん、4歳1ヶ月の時でした。

 私は、先生から診断名を聞いた時「やっぱり…。」と同時に「自閉症」という言葉にショックを受けました。旦那さんとこぼちゃんも一緒に行っていましたが、この日は、この後何をしたのか覚えていません。旦那さんは、とっちゃんのことは「こんな子いたよ」派だったので私よりショックが大きかったに違いありません。
 おまけに、病院で風邪をもらって来たらしく、この後とっちゃんは熱を出しました。体調が悪いからイライラするのか機嫌も悪く、こぼちゃんに対しての攻撃性は増し、叩いたり「こぼちゃん大キライ!あっちいけっ!!」と言って、こぼちゃんを泣かせていました。私の言うことは まったく聞く耳を持たず(お父さんの言うことのみ聞く)生活に関することなど(朝起きてトイレに行くのもお父さんじゃないとイヤだと大泣きをする、お父さんが仕事に行くとイヤだと言っては大泣きをする。など)困ることも多く、この時期、私は とっちゃんを どう育てていいか分からず、途方に暮れてよく泣きました。とっちゃんは お父さんが大好きということが、いつにも増して私に伝わり、私は悲しかったし、旦那さん(お父さん)が羨ましく、辛かったです。
 
 私の不安が伝わったのか、とっちゃんも不安定でした。これではいけないと「私がしっかりしなくちゃ!私が育てなくちゃ!」と思い直し、この頃から自閉症に関する本を寝る間を惜しんで読み出し、対応を勉強し始めました。その中で1冊の本に出会いました。『読んで学べるADHDのペアレントトレーニング むずかしい子にやさしい子育て』という本です。この本は、ADHDを疑っていた時買っておいて、まだ読んでいなかった本で、自閉症関係のある本に、応用行動分析学の初歩が書かれていてADHDだけでなく、自閉症の子どもにも、おおいに役立てることができるとか書かれいました。初歩なら分かりやすいだろうと、読み始めてみると、なるほど、わかりやすいし実践しやすいように書かれていて、全部読み終わらないうちに、すぐ毎日の生活に取り入れました。そうしたら驚くことに とっちゃんが、みるみるうちに変わった来て、私はビックリしました。そして とっちゃんの笑顔が増えだしました。
 

*“診断の時”で「成長記録(4歳まで)」は終わりです。ブログを始める前に何も準備をしていなかったので、気の向くまま、毎日の出来事を書いたり、急に成長記録があったりと、まとまりがなくて、読みにくかったと思います。ごめんなさい。
 

2006年9月15日 (金)

診断前(3)

★とっちゃんと お友だち(保育所時代~4歳6ヶ月まで)

 保育所に行き始めてから、兄弟以外の関係…お友だち関係の問題も出てきました。保育所に慣れ始めると、お友だちと押す、噛みつく、引っ掻く、つねるなどのトラブルが続出。同じクラスに双子の兄 こぼちゃんがいたおかげか母親が責められることはなかったのですが、とっちゃん一人ならもっと先生方の風当たりが強かったに違いありません。

 家でも言い聞かせ、保育所でも先生方が言い聞かせてくれて、少しずつ とっちゃんのトラブルは減っていましたが、とっちゃんは保育所では一人で遊んでいることが多かったです。それはお迎えに行くと、よく分かりました。お友だちの中に混じって遊ぶこぼちゃんと、一人砂場で遊ぶとっちゃん…しかも周りのお友だちとの間が微妙に空いています。お友だちが近づいてこない様子が見て取れ、その様子を お迎えの時に毎回見るたび胸が痛みました。

 極めつけは、あまり普段お友だちと仲良くしないとっちゃんが 唯一気に入っていたお友だちと「バカ」と言い合いケンカをしてしまったこと。ケンカしてから「ぼく、ひとりぼっち。」と家で よく泣くようになりました。そして保育所に行かないと、言い出しました。
 それからしばらくは、保育所には抱っこで連れていっていました。片手の腕に荷物を引っかけ、片手はこぼちゃんの手を引き、片手でとっちゃんを抱いていきました。この頃には、とっちゃんはかなり重くなっていて数メートルも行かないうちに、腕を変えながら歩いて行きました。こぼちゃんには、手を引くことを我慢してもらって、私の服を持ってもらいながら、何とか保育所にたどり着いていました。こうして頑張って連れていっても、結局私から離れず、「行かない」と言い張って休んだりすることもありました。見かねた旦那さんが「お父さんと行こう」と連れて行ってくれだして(なんたって とっちゃんはお父さん大好き。お父さんの言うことは良く聞いた)なんとか保育所に行きだしましたが、今度はお父さんとじゃないと行かなくなってしまいました。

 お友だちと、うまく関われないとっちゃんが、保育所で唯一頼りにしていたのが担任の先生でした。担任のS先生が、明るく関わってくれて、とっちゃんはS先生が大好きになりました。お散歩の時もS先生に手をつないでもらっていました。
 
*保育所を卒園した今でも、とっちゃんはS先生が大好きで、幼稚園の後、ほぼ毎日 帰りに保育所に寄っています。勤務の関係で先生に会えなかった時のパニック泣きはすごいです。どれだけS先生の存在が大きかったか分かります。そして幼稚園のあと保育所に寄ってS先生に会うことが、今は とっちゃんのこだわりになってしまいました。
 それでも、幼稚園にも慣れて来たので、保育所に寄るのは週一回に減らすよう約束しました。今、彼も成長してS先生に会いに行くのは週一回を納得してくれ「わかった。S先生は週1回ね。」と言っています。ありがたい。…というか、毎日行くのは気が引けるので、母はとっても この成長が嬉しいです。

2006年8月31日 (木)

診断前(2)

★こだわりが出始める(2005年9月頃)

 「ことばの教室」に行き始めた頃から、とっちゃんの言葉が増えてきました。「ことばの教室」が刺激になったのか、今まで ただグズって大泣きしていたことの理由を話し始めたのです。
 
 例えば、風邪で小児科に行き順番待ちをしている時、側に赤ちゃんが来るだけで「赤ちゃんキライ!赤ちゃんキライ!」とつぶやき始めました。そして順番を待っている間中「赤ちゃんキライ!赤ちゃんキライ!」が続いたのです。もう待合室にいれないくらいでした。また、お店で誕生日のプレゼントのおもちゃを選んでいた時、赤ちゃんが近づいて来ただけで、「あっちいけ!ぼくのおもちゃだぞ!あ~赤ちゃんに取られちゃう~。」と混乱し始めました。
 
 他には、家族で車に乗り出掛けている時、信号が赤になり止まると「何で止まるんだ!!早く動け!!」と信号が青になり車が動くまで怒り続けました。
 
 保育所の帰り道では、保育所の横に白線をまたいで止まっている車があると、一歩も進めませんでした。手を引いて車を追い越そうとしても、抱っこして先に行こうとしても、ものすごい勢いで泣き叫びました。私は何が何だかわかりませんでした。
 この他にも、何度言っても着替えをしない、ご飯の時間になっても遊びたがり大泣きをする、双子の兄弟に暴力を振ったり、「大キライ」と言う、パニックになっている時は自分で自分の頭を叩くなど、あげたらきりがないほど問題が出てきました。これでは生活が成り立たないほどでした。

*こだわりのその後

*赤ちゃんキライ…とっちゃんも大きくなったので、保育所で赤ちゃんに譲ることを先生に求められ始めたためだったのではないかと思います。保育所の先生からも、そんなお話がありました。今は、すっかり赤ちゃんキライとは言わなくなりました。今では「赤ちゃん大好き」だそうです。

*赤信号で怒る…それからずいぶん時間をかけて、赤信号で進んだら危ないこと、事故になっていまうこと、赤信号で止まることは交通ルールで決められていることを話し続けました。何ヶ月かがたった頃やっと納得してくれました。「赤は止まれね。」と言っています。

2006年8月29日 (火)

診断前(1)

★3歳児健診(3歳6ヶ月のころ)

 私は、3歳になったころから、とっちゃんと こぼちゃんの違いが気になりだしました。クレーンの指さしをインターネットで調べて「自閉症」のホームページに行き当たりショックを受けました。しかし、この時は「自閉症」について何もしらなかったため言葉がないことが多いという記述に「とっちゃんは言葉もでてるし…大丈夫…」と思おうとしていました。それでも発達に何か障害があるのかも…?という漠然とした不安が消えず、ADHDの本を書店で見つけ読んでみたりもしました。旦那さんに相談すると、「こんな子、昔もいたよ~」と言われ、私も「そうかな?」と思いつつ「何か違う…」と感じながら二人を育てていました。仮に何処かに相談に行くとしても、この時は相談するところが思い浮かびませんでした。

 そんな頃の健診です。健診前に問診表が送られて来ました。3歳児健診では、事前に家庭で視力の検査、聴覚の検査をしておかなければなりませんでした。
 
・視力、聴覚の事前検査
*こぼちゃん
 こぼちゃんは何の問題もなく、私達の言うことを理解し検査してくれました。結果も問題はなさそうでした。
 
*とっちゃん
 とっちゃんは、この事前検査が全く出来ませんでした。指示がわからないのか、ふざけているのか話にならないくらい出来ません。今思うと指示が分からなかったのだと思います。そして何をするのか分かってなかったのでしょう。私は旦那さんに「相談に行くところを聞いてみる。」と言いました。彼も「そうしよう。」と言いました。
 
・3歳児健診 当日
*とっちゃん
 いざ検査に行くと、服を脱いで体重と身長をはかるだけで大騒ぎで、大泣き状態です。とっちゃんが自閉症なのを考えると、この時はいつもと違う場所で服を脱ぐということが、とても怖かったのだと思います。これから何をされるのだろうと思ったのでしょう。そして診察を受けた医師から、あっけなく「視線も合わないし、簡単な質問(名前と年齢を言う)も答えられませんね。軽度精神発達障害が疑われます。検査を受けてください。」と言われました。こちらから相談に行くところを聞く必要もなく、検査に行くことになりました。
 
*こぼちゃん
 このときのこぼちゃんは、さっさと服を脱いで体重と身長をはかりました。医師の診察での質問にも しっかり答え、看護師さんからは「おりこうさんね~」とお褒めの言葉までもらってしまい、二人の違いがはっきりとしてしまいました。
 
 3歳児健診で発達の遅れを指摘され、本当なら落ち込むところなのかもしれませんが、この時、私は相談に行く場所が決まりホッとしたのを覚えています。
 
★児童相談所(2005年8月)

 昨年の夏、3歳10ヶ月の時 検査のため、児童相談所に行きました。この時は、とっちゃんは私達 両親から離され別室で、発達の検査を受けました。私達は、今までのとっちゃんの成長について質問に答え、気になること、心配なことを話しました。
 そして出た判定は、「正常か正常でないかということであれば、どちらかといえば正常です。」という微妙な判定でした。そして「全体的に約10ヶ月の遅れがあり、言葉の遅れがみられます。」とのことで「ことばの教室」を紹介されました。今、考えると明らかに「あなたの息子さんは、グレーゾーンです。」と言われていたのですが、その当時、私達は「どちらかといえば普通なのね…。」と安心しました。
 あと4ヶ月後に、“広汎性発達障害”と診断されるとは、思いもしませんでした。

2006年8月26日 (土)

とっちゃんと こぼちゃんの成長記録(4)

★3歳から4歳まで

 3歳から、双子たちを保育所へ一時保育に出すことにしました。私は家事の時間が取れるし、子ども達は外で遊べてストレス解消になるし、幼稚園の前の集団生活に慣れるためもあり週1日預かってもらうことにしました。私達が住む地域では、ありがたいこと理由にかかわらず週3日は、一時保育で預かってくれました。この時点では、4月から3年保育で幼稚園に出す予定だったので、週1日の一時保育でした。

○全体的な様子
*とっちゃん 
 とっちゃんは、このころイヤイヤ期の真っ直中、指示も通らず、こぼちゃんに比べて怒られることが多くなっていました。そのストレスのはけ口は、こぼちゃんへと向かい(叩く、噛みつくなど)、そしてまた、両親に怒られると こぼちゃんに八つ当たりするようになっていました。私達親は、それを見てますます怒るという悪循環で、とっちゃんはだんだんストレスを溜めていっていたのかもしれません。この頃、とっちゃんの笑顔が少なくなっていました。

*こぼちゃん
 3歳3ヶ月頃になると、こぼちゃんは意志の疎通が取れ始め、会話が楽しめるようになり、物事が分かってきたな~と感じるようになりました。また、一日生活する上で必要な指示が分かるようになり、イヤイヤ期も収まって聞き分けが出来るようになって楽になってきました。

○トイレトレーニング
 4月には幼稚園に入園させる予定でしたが、オムツが二人とも取れず、幼稚園に相談したらオムツは取って来てください…というようなことを言われ、4月からの幼稚園は断念して、もう一年一時保育で頑張って行こう(週3日に増やしました)ということになりました。
 
*こぼちゃん
 一時保育に行き始めて、こぼちゃんは保育所では、完全に布パンツで過ごせるのに、家では布パンツを嫌がりはいてくれませんでした。「どうしてかな?お友だちはみんなお家でも布パンツだよ…」と私がつぶやいたのを聞き「え?本当!!ボクみんなもオムツだと思ってた!」とショックを隠しきれない顔をするので、「そーだよ~。どうして君たちは、布パンツはいやなの?」というと「布パンツにする!!」と宣言して、その日を境に、あっさりオムツは卒業しました。(ウンチはまだオムツの中に…でしたが。)

 先におしっこのオムツは取れていたこぼちゃんでしたが、ウンチはなかなかトイレでは出来ませんでした。そうこうしているうちに とっちゃんの方が先にウンチをトイレで出来るようになってしましました。なんでも先に出来ていたこぼちゃんは、自分がウンチをトイレで出来るようになるまで悔し涙にくれていました。
 
*とっちゃん
 とっちゃんは、母のつぶやき(「どうしてかな?お友だちはみんなお家でも布パンツだよ…」)にも知らん顔で、一向にオムツを外す気もなく、外出先でおしっこがオムツにいっぱいになって漏れてズボンを濡らしてしまっても、気持ち悪いとも言わずにいました。(漏れる前に替えてあげたら…って当然なのですが、水分を多く取った時など、あっという間に、オムツがパンパンってことが多かったです。まだおしっこに関係する身体の機能が整ってなかったようです。)
 
 このままでは、この夏に はずれないと、布パンツの中に布オムツを入れてみたり、パンツのままにしてお漏らしさせてみたりしても効果無し。とうとうお父さんが、お漏らししたらおしりペンペンの強硬策に出ました。一時保育の日以外は毎日一緒にすごく私が同じことをすると、かえって逆効果かと思い厳しい指導は父に任せ、私はひたすらお漏らしをしたら、「気持ち悪いでしょ。汚いね。」と言い聞かせで対応していました。こう書くとやさしいお母さんのようですが、毎日のこと時々切れて怒ってしまうことがありました。(ごめんね。とっちゃん…)父の愛のムチと私の叱咤激励(?)で、こぼちゃんから遅れること3ヶ月で ようやくオムツが取れました。とっちゃんはウンチも同時に取れ(ちょうど下痢をしている時で、オムツだとおしりにべったり付くのがいやで、トイレで出来てからはトイレで出来るようになりました。)ウンチも同時に完了でした。

2006年8月24日 (木)

とっちゃんと こぼちゃんの成長記録(3)

★2歳から3歳まで

*とっちゃん
・母子手帳の2歳のところを見ると、とっちゃんの母子手帳には、よく大声を出すこと。歩き方がぎこちないこと。自分で食事を食べる意欲のないこと。食べず嫌いが激しいこと。と心配なことが記入してあります。
 今思えば、この大声も自閉症の奇声に当てはまるものではないかと思います。この頃、一人で、よくくるくる回っていました。こぼちゃんも真似てまわってはいましたが、とっちゃんほど頻繁にしなかったので、真似だったのかなと思います。
 相変わらず、お父さんっ子で何でもお父さんと!の日々でした。
 
・食事は、自分では食べず、お父さんから食べさせてもらっていました。(お父さんっ子だったため夕食は父とペアでした。朝食や昼食は、自分で食べるられるパン、おにぎり、おかずなどにしていました。)好き嫌いも激しく、離乳食の頃は食べた物も受け付けなくなり、白ご飯と果物しか食べない時期がありました。でも食欲はあったので、ご飯を三杯はおかわりし、どんどん大きくなっていきました。
 
・歩くことは苦手で、少し歩いては、お父さんに抱っこをせがみ、抱っこしてもらわないと動かないなど、動くことが好きではありませんでした。とっちゃんの場合、目立った多動はなかったです。(ただ落ち着きはなかったです。)それだけでも私達は楽だったと思います。
 
・遊びの面では、積み木を積むことを、こぼちゃんは1歳6ヶ月以前には出来ていたのに、とっちゃんは積み木を ずっと積もうとはしませんでした。それが突然2歳4ヶ月のときに角をピシッと揃えて積んで驚きました。「この子はこうしたかったから、今まで積み木をつむことをしなかったんだ。」と思ったものです。お絵描きも、こぼちゃんはどんどんなぐり描きをして楽しんでいるのに、いろいろな物を描いて、とせがまれるだけでした。
 
・言葉の面では、2語文が出たのは、2歳8ヶ月頃と遅かったです。
 
・魔の2歳児の「イヤ、イヤ」は しばらくなく、こぼちゃんが始まったので、いつ来るか!と思っていましたが、こぼちゃんが「イヤ~~!!」と怒って泣いている間も一人、ぽよ~んとしていました。(「イヤ、イヤ」が始まってからはすごかったですが…)
 
・そして、こぼちゃんと一番違うことが、この頃現れました。指さしのクレーン現象です。こぼちゃんは自分で指をさすのに、とっちゃんは指さしが現れず、クレーンでの指さしでした。2歳代から3歳半頃までが、頻繁に出ていました。
 また、2歳前ごろから、とっちゃんが こぼちゃんに噛みつくようになっていました。二人にしておくと、必ずこぼちゃんが泣きだし、昼間の間の家事が出来なくなってきました。 
 
 
*こぼちゃん
・食事は、上手にスプーンを使っていました。自分で食べられるものは進んで食べてくれました。好き嫌いも ほとんどありませんでした。

・歩くことも大好きで抱っことも言わず、母に手を引かれ歩いていました。
 
・遊びの面では、こぼちゃんは 積み木を積むことを1歳6ヶ月以前には出来ていました。お絵描きも、こぼちゃんは、どんどんなぐり描きをして楽しんでいました。
 
・言葉の面では、こぼちゃんは2歳2ヶ月で2語文が出ました。こぼちゃんも少し遅めだったと思います。
 
・よく言われる魔の2歳児の「イヤ、イヤ」は、こぼちゃんは1歳の終わりから2歳代がピークでした。この時期だけは、こぼちゃんの方が大変だったと思います。
 
 
 トイレトレーニングは、2歳6ヶ月頃からの遅めのスタートでした。二人とも2歳代では、はずれませんでした。この頃は、パンツオムツのまま時間が来たらトイレに誘うという方法をとっていました。双子なので私に余裕がなく、無理しても失敗した二人を怒るだけになると可哀想なので、オムツのままのトレーニングでした。
 

2006年8月23日 (水)

とっちゃんと こぼちゃんの成長記録(2)

★1歳から2歳まで

*とっちゃん
・赤ちゃんの頃から、ともかく何でも舐めていました。この頃は、誰でも何でも舐めるとは思いますが(こぼちゃんも舐めてはいたけど、ともかく舐めかたが違うというか…。)本や柱まで舐めて、かじったのにはビックリしました。

・この頃になると、お父さんがお休みの日に仕事に行くことがあると、お父さんが帰ってくる間30分でも(職場が近かった)ずーと激しく泣き、「はわわ、はわわ~」と泣くので、旦那さんと「はわわ泣き」と命名したくらいでです。こうなると母ではダメで、私では、なぜ泣きやんでくれないのかと悲しくて、私も泣いていました。
 
・言葉は、とっちゃんは1歳6ヶ月で「まんま」と言い、その後なかなか言葉が増えませんでした。「お父さん・お母さん」も、なかなか言ってくれませんでした。とっちゃんは、お母さんが言えるようになってから、なぜかお父さんを「お母さん」と呼んでいました。しばらくは、「こうちゃんのお母さん、(父のことを)ぼくのお母さん」と言っていました。もしかしたら、本当に勘違いしていたのでは?と思うほどのお父さんっ子ぶりでした。
 
・遊びの面では、積み木がなかなか積めなかったです。そのほか、自閉症特有のものは、この頃はあまり出てなかったと思います。
 
 
*こぼちゃん
・こぼちゃんは1歳2~3ヶ月頃から少しずつ話し始めました。こぼちゃんは、最初にイチゴを「いち」と言い、その後「いち」が転じて自分の好きなものになり、イチゴの「いち」と両方使っていました。
 1歳半の時に、私が実家に帰らなくてはならなかったため(私の祖母が亡くなったため)初めて双子達と離れました。その時、私の写真を握り、私を指さして「いち…」と言ったそうです。そして、その後すぐ私のことを「お母さん」と呼んでくれました。
 
・遊びの面では、積み木を1歳6ヶ月より前には積めるようになりました。積み木を積んでは、手をたたいて喜んでいました。
 
・こぼちゃんは、イヤイヤ期の始まりが、1歳の終わり頃からでした。最初に こぼちゃんが「イヤ~!」と言い出した時は、とっちゃんは まだ ぽよ~んとしていたので、かえってこの頃は、こぼちゃんに手を焼いていたと思います。

2006年8月22日 (火)

とっちゃんと こぼちゃんの成長記録(1)

 私の息子 とっちゃんは、広汎性発達障害と診断されています。双子の兄、こぼちゃんと二人の双子育児は、毎日が嵐のようでした。今日から、とっちゃんと こぼちゃんの成長の記録を少しずつ書いていこうと思います。
 
★妊娠後期から誕生まで

 とっちゃんと こぼちゃんを妊娠する前、私は、不妊治療を5年間(積極的に治療していた期間)していました。結婚してから二人を授かるまでに8年間かかり、不妊期間は常に「一生子どもが出来ないかもしれない」という不安との戦いで、辛い毎日でした。それでも結婚して8年目に双子を授かりました。とても嬉しかったです。今思うと、この不妊期間は、とっちゃんの障害のことを受け止めるための試練のような気さえします。この経験のおかげで、私は、少し強くなれた気がします。
 
 妊娠してから双胎のための管理入院になるまでは、経過は順調でした。管理入院の少し前から、お腹の張り止めの薬を飲んではいましたが、初産だったため本人は、あまりお腹が張っているとこに気が付かない、のんびりとした妊婦でした。
 そして私は29週あたりから双胎妊娠の管理入院で入院しました。その頃には、お腹の張りもかなりあり、張り止めの飲み薬ではもたず、点滴を受けることになりました。以後点滴の機械(正確に薬がおちるための物)がお友だちになりました(苦笑)
 
 35週目くらいで点滴を外し、いつ生まれてもおかしくない状態になりましたが、なんとか1週間もち出産になりました。
 
★誕生

 とっちゃんと こぼちゃんは、2001年10月 妊娠36週と3日で生まれました。こぼちゃんは、ちゃんと下を向いて頭位の状態でしたが、とっちゃんは横になっていて横位という状態だったので、帝王切開での出産でした。
 
 生まれた日は、朝から何やら、こぼちゃんの方が、「出してくれ~!もうきついよ~。」というようにドンドンとお腹を蹴って騒いでいました。(こぼちゃんの位置は、かなり下に下りてきていて数日前から、もごもごきつそうに蹴ったり動いたりしていました。)私自身も何か不思議な勘で「今日あたり出てきそう」と看護師さんに話していたら、夕食後、こぼちゃんの一蹴りで破水。緊急帝王切開になってしましました。
 
 まず先に、こぼちゃんが取り上げられ、「ぷぎゅぎゅぎゅぎゅっ~~~~(私には こんな風に聞こえました。自然分娩と違って突然、外に出されたからかな?)、おぎゃぁ~~~。」と元気に泣き、とっちゃんも「ぷぎゅぎゅぎゅぎゅっ~~~~、おぎゃぁ~~~。」と同じように泣いて出てきました。生まれた時は未熟児だけど、なんの異常もなく、旦那さんと二人結婚8年目で授かった双子の誕生を喜びました。

★0歳から1歳まで

とっちゃん:1866グラムで誕生しました。保育器に入っている期間も長く、生まれて3週間後の退院でした。とっちゃんは、なぜか縦抱きに こだわり、新米父さん・母さんはとても困りました。自分の子供なのに恐る恐る抱いていた時期、縦抱きなんて、とても出来ませんでした。横抱きでは、どうしても泣きやまないとっちゃん。入院中、看護師さんが赤ちゃんを抱く時に、縦抱きで仕事をしながら面倒を見ていたのを思い出し、旦那さんと「もしかして?」と身体が大きいお父さんが挑戦!すると、だんだんお父さんの縦抱きに馴染み、お父さんに抱っこされると泣きやむようになりました。(今思うと、赤ちゃんながら、こだわりがあったように思います。)
 この頃のとっちゃんは、泣き出したら止まらない、激しい泣き方をする赤ちゃんでした。それは、言葉が出るようになるまで続きます。私は、私の抱っこでは泣きやんでくれない とっちゃんに、どうしたらいいかわかりませんでした。また今思えば 赤ちゃんのころから、視線の合わない目の合わないとっちゃんでした。そしてあまり笑わない赤ちゃんでした。
 母乳&ミルクは、双子だったため母乳が足らなかったのか、ミルクのほうが良くなりあっけなく断乳。以後ミルクでグングン育っていき6ヶ月ごろには、標準に追いつきました。
 首のすわり、寝返り、お座りと、こぼちゃんより遅めで、ハイハイに至っては、とっちゃんは ほとんどしないまま、つかまり立ちを経て(こぼちゃんが、つかまり立ちを始めたので一緒にベビージムに つかまり立ちをさせていたら出来るようになった。)1歳の頃には とっちゃんも歩き始めました。
 
 双子たちが、9ヶ月から11ヶ月の3ヶ月間、旦那さんの単身赴任で、職場の研修がありました。その間研修先が遠かったため1ヶ月に1回の割合で帰って来ていました。1回目の帰省の時は、とっちゃんは お父さんを見て、それはもう嬉しそうな笑顔で、お父さんがいる間ニコニコして機嫌がとても良かったです。しかし2回目からは、お父さんの顔を見るなり、不機嫌になり、お父さんに寄りつきもしなくなりました。それは、研修から帰って来てからも同じで、帰ってから1ヶ月くらいは、お父さんを拒否しているかの様でした。こんな小さいのに覚えているのかと驚きました。その後、もともとお父さんっ子だった とっちゃんは、少しずつお父さんっ子に戻り、「母よりお父さん」で過ごしていきます。
 
こぼちゃん:2152グラムで誕生しました。保育器からは比較的早く出て、生まれて2週間後の退院でした。こぼちゃんは、横抱きでも良かったので、新米母は、とっちゃんを敢えて縦抱きをすることなく、いつか横抱きに慣れてくれるだろうと二人を同じように抱いていました。こぼちゃんは、私の抱っこにも慣れて、抱くと泣きやんでくれました。おしゃぶりも好きで、よくおしゃぶりをしていました。 
 母乳&ミルクは、双子だったため、母乳が足らなかったのか、ミルクのほうが良くなりあっけなく断乳。以後ミルクでグングン育っていき6ヶ月ごろには、標準に追いつきました。
 首のすわり、寝返り、お座りと こぼちゃんの方が早かったです。ハイハイは、出来るようになったとたん自分で移動できるのが楽しいのか、あちこちにハイハイしていきました。ハイハイから自然に、つかまり立ちををするようになり、1歳の頃には、先に こぼちゃんが歩き始めました。 
 
 こぼちゃんはお母さんっ子で、お父さんの研修中も あまり変わらず過ごしていました。
 
 双子だったため父、母それぞれが お父さんっ子、お母さんっ子を自然と面倒を見ることになってしまった0歳から1歳の時期でした。(ただし旦那さんが仕事から帰ってからのこと。昼間は母が一人で面倒を見ていました。)

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  • 双子の成長日記と自分の好きなことを綴った日記です。スポーツ観戦が好きで、フィギュアスケートは高橋大輔選手、サッカーは香川真司選手、テニスは錦織圭選手を応援しています。最近、息子達の影響で卓球を始めました。よろしくお願いします♪  ☆ コメントは ただ今 承認制とさせていただいております。反映まで少しお時間をいただいてしまいますが、ご了承くださいませ。 ☆

☆KO君とTO君

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